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宮崎地方裁判所 昭和43年(行ウ)6号 判決 1974年5月31日

原告 鈴木莞爾

右代理人弁護士 小堀清直

同 鍬田萬喜雄

被告 宮崎県教育委員会

右代表者委員長 大野直数

右代理人弁護士 佐々木曼

同 殿所哲

右指定代理人 中馬菊雄

<ほか二名>

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、本訴請求の趣旨

「被告が昭和四三年九月三〇日付で原告に対してした解職処分を取消す。」との判決。

第二、請求原因

一、原告は昭和四三年四月一日(以下とくに年を示さない限り昭和四三年を指す)被告によって宮崎県の市町村立学校教員として採用され、同県児湯郡木城村立木城中学校に勤務していたところ、九月三〇日被告から勤務成績不良の理由により解職処分を受けた。

二、しかしながら原告は地方公務員としての適性に欠けるところがなく、かつ学校職員としても普通以上の成績をあげていたにもかかわらず、被告は原告の教育活動を不当に過少評価した結果本件解職処分をなしたものである。

さらに右処分は原告が宮崎県教職員組合員であることおよび組合活動を行なったことを嫌悪してなされたものである。

すなわち原告は条件付採用期間中に、宮崎県教職員組合に加入したが、その間同教組児湯支部木城地区協議会の青年部書記長に選出せられた程の活動家であったところ、

(一)、四月中旬頃教頭は原告に対して組合に加入しないよう述べた。

(二)、九月中旬頃吉野校長は原告を校長室に呼びつけ、条件付採用者が青年部書記長になるのは好ましくない旨を述べた。

(三)、前同月末頃原告は職場新聞発行の作業をしていたところ、校長室に呼びつけられ、条件付採用者は組合活動をしてはならない、オルグに行くのは好ましくない旨を述べた。

(四)、前同月頃校長は原告に対して全学連のヘルメットを持っているかとたずねた。

三、以上のとおり、本件解職処分は原告が条件付採用期間中に行なった教育活動を不当に過少評価し、かつ反組合的意図のもとになされたものであって、裁量権を著しく越えた違法の処分であるから、その取消しを求める。

≪以下事実省略≫

理由

第一、請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。

第二、本件解職処分の適否について

一、条件付採用職員に対する解職処分につき任命権者の有する裁量権について、

(一)、地公法は職員の任用につき成績主義の原則を掲げるとともに(一五条)、職員の採用は競争試験または選考の方法によるべき旨規定している(一七条三・四項)。しかし競争試験または選考の方法によっても、採用された者がその職における職務遂行能力を有し、職員として必要な適格性を保持するものであることは必ずしも保障されるものではない。そこで地公法二二条一項は職員の採用をすべて条件付のものとし、その職員が一定の期間勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときにはじめて正式採用になるものとしたのである。すなわち条件付採用中の職員は正式採用されるまでの選択過程にあるのであって、正式採用の職員に与えられる身分保障の一部を排除されており(地公法二九条ノ二)、したがって任命権者は、条件付採用期間中に競争試験または選考により捕捉することができなかった要素が存しないかどうか、あるいはそれらの方法により判定されたとおり実際の勤務において職務遂行能力が発揮されるかどうかを公正な裁量権に基づき考慮する機会を与えられることにより、不適格者を排除し、成績主義の原則の完璧を期そうとするものである。

(二)、条件付採用制度の右のような趣旨・目的およびそれが実質上試用期間的なものであることに照らすと、条件付採用期間中の職員が良好な成績で職務を遂行したか否かの判断をなすについては任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとより純然たる自由裁量に委ねられているものではないから、任命権者が勤務成績の不良を理由として条件付採用中の職員に対する解職(不採用)処分をなすについては、当該処分の理由たる成績不良の判断が、任命権者の右裁量権を逸脱した違法なものでなく公正なものであることを担保するに足りる客観的・合理的な事由の存在することが必要であることはいうまでもない。

したがって条件付採用制度の前記目的と関係のない目的や動機に基づいて解職処分をすることが許されない(裁量権濫用)のはもちろん、処分事由の判断の有無についても恣意にわたることは許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、またその判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えるたのである(事実誤認、比例原則違反による裁量権逸脱)ときは、またその場合に限り裁量権の行使を誤った違法のものとして当該処分が取り消されるものである。

二、被告の主張(二)掲記の各事実の有無について

(一)、道徳授業時間の不履行について

1、≪証拠省略≫によれば、原告は担任であった一年B組において、四月から九月まで一五時間の「道徳」の授業時間をつぎのとおり実施したことが認められる(ただし本件全証拠によるも七月一七日・九月四日についてはその内容を明らかにすることができない)。

日時

内   容

(1)

四月

一〇日

オリエンテーション(自己紹介、教科担任制・中学校のきまりなどについて説明)

(2)

四月

一七日

オリエンテーションの一環として生徒の将来の希望を知るために生徒に作文を書かせた。

(3)

四月

二四日

オリエンテーションの一環として生徒の進路についての話合い

(4)

五月

四日

副読本の「中学生になって」をテーマに授業

(5)

五月

一五日

副読本に則り、“中学生らしさ”についての作文を書かせた後班毎に討論

(6)

五月

二二日

中間テストの結果につき生徒にクモの巣グラフを作成させ、同時に英語のテストを実施

(7)

五月

二九日

副読本の「父母とわたし」に関連して生徒に「私からみた家庭」という題の作文を書かせた後話合い

(8)

六月

五日

長期欠席生徒の件について学級内で話合い

(9)

六月

一二日

JRC(日本青少年赤十字)活動の一環としての交換アルバムについて学級で話合い

(10)

六月

一九日

同右

(11)

六月

二六日

交換アルバムの作成

(12)

七月

一〇日

副読本の「計画と実行」を参考にして夏休みのすごし方について話合い

(13)

七月

一七日

(14)

九月

四日

(15)

九月

一一日

JRC活動に関連させ、主体性の涵養を目的として生徒に「私の目」という題の作文を書かせた。

2、ところで≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)、木城中学校においては、新入生のためのオリエンテーションの時間が二時間予定されていたけれども、それでは十分でなかったため、四月の職員朝会で児玉一学年主任より一学年については四月中の道徳・特別教育活動の時間をオリエンテーションにあてたい旨の提案があり、その旨決定された。そのため一学年の各学級とも道徳あるいは特別教育活動の時間をオリエンテーションにあてることとした。

(2)、昭和四三年度の道徳副読本の決定は四月一八日になされ、その年間指導計画がガリ刷りになったのが五月末であったが、いずれも前年度と全く同一内容であったところ、木城中学校における道徳年間指導計画は副読本「新しい生活」の篇目にしたがってたてられていたが、実際の道徳の授業はその科目の性質上必ずしも右計画通りに実施する必要はなく、生徒の生活場面に起こる問題や時事的な問題を時宜に応じ弾力的に選択して行なうこととされていた。

もっとも、学級活動・生徒会活動・クラブ活動などの特別教育活動は道徳とかなり共通の面のあるものの、これとは区別さるべきものであり、道徳の時間をオリエンテーションや右諸活動に用いることは道徳年間指導計画の弾力的運用の枠を超えるものではあろう。

(3)、イ、木城中学校においては、昭和四一年より青少年赤十字に加盟して生徒会活動の一部門に組みいれた。

ロ、青少年赤十字は青少年をして平和を理想とし、奉仕を実践することを教えこむ目的をもって組織されたものであって、ことに自他の健康の増進、社会的・人道的責任の理解と遂行、各国青少年に対する友好的扶助精神の涵養と保持をとおしてその目的の遂行を期するものであって、道徳と深い関連性を有している。

ハ、青少年赤十字活動の一環として、親善を目的とした加盟校間のアルバム交換があり、木城中学校においても生徒会年間活動計画の中で、六月に交換アルバムの作成をすることが予定されていた。

(4)、他の学校においても道徳の時間を利用して、交換アルバムの作成やテストを行なっている。

3、右1・2の事実を総合すると、原告が本来的には生徒会活動においてなされるべき交換アルバムの説明や作成に道徳の時間をやや多く割きすぎた感もなくはなく、また道徳の授業時間の遂行にやや計画性の欠ける面があったことは否めないが、原告のみが道徳年間指導計画を無視し、殊更に偏頻な道徳指導をなしたとは認め難い。

(二)、宣誓の際の言動について

原告が教育公務員として服務の宣誓を行なうため、四月五日はじめて木城村教育長押川哲生と面接したことは当事者間に争いがない。

原告本人の供述によれば、宣誓(もっとも宣誓書の朗読はなく、署名押印したのみであった)後の雑談の際、教育長が原告に対して“暇なときには遊びに来て下さい。木城のことでも話しましょう。”と言ったのを受けて、原告が教育長に対して“教育長さんはお酒を飲まれますか。ゆっくり酒を飲みながら後日お話しをうかがいます。”という趣旨の発言をしたことが認められる。

宣誓後の訓示の途中で右発言があったとの証人押川哲生の証言は、同証言による右宣誓・訓示の形式・態様からして儀式としては原告らに理解されたかどうか疑問であり、したがって雑談の介入を許さない態のものであったとも断じがたいので、原告本人の供述に照らしてにわかに採用できない。

もっとも≪証拠省略≫によれば、後日押川教育長は当時児湯教育事務所長であった村口美好や被告の教職員課第二係長であった岡村祐二郎に対して、前記発言について報告し、教員の新卒者採用に当ってはもっと慎重にやって貰いたい旨強く要望したことが認められ、右事実に照らすと原告の前記発言が教育長の側からみてその場にそぐわないものであって、教育長の心証を害するものであったであろうことは推察に難くない。

(三)、感想文について

五月八日行なわれた初任教育公務員校外研修の際原告が教育公務員としての着任当時の感想文において「……着任して直面する全く未知らぬ教員生活は別に過去において味わった感激等湧く代物ではない。」「教師は教えることのみかと思ったら何と雑事の多いこと、本のセールスの紹介、保健簿の作成、各種報告書、子供達の日常の指導等多くの先生方は雑事労働に一日の全てを費やしている感がある。」と述べたことは当事者間に争いがない。

右感想文を書くにいたった経緯について、原告は当時教師の職務を教室内において教科等の指導にあたることのみであると考えていたところ、担当学級には非行生徒や長期欠席生徒がいてその解決に悩み、あるいは保健簿等各種文書の作成に時間的余裕を奪われたりして、教材研究が十分にできなかったりしたため、前記の如き感想文を書いたものである旨供述する。

ところで原告が中学校における教師の職務を教室内における教科等の指導にあたることのみであると考えていたというのは認識不足も甚だしいものというべきである。

生徒の非行や長期欠席の解決に努力すること、保健簿等各種文書の作成にあたることなどは、教育に携わる者にとって極めて重要な職務というべきであって、原告がこれらを雑事もしくは雑事労働と表現したことは適切ではなく、教師としての自覚に欠けているものと疑われてもやむを得ないところがある。

また原告が教員生活に入ったことについて感激したかどうかはともかくとして、「教員生活は感激等湧く代物ではない」という表現も妥当ではないというべきである。

しかしながら右感想文の全体や原告の教育活動からみると右のような表現は若者にありがちなてらいに発するところもあって、これのみを以てしてはことさら取り立てて非難すべきものとはいい難い。すなわち右感想文において、原告は父母との教育的対話を、取組んでみたい研究として挙げるとともに、その後これを実践しているのであり〔この事実は≪証拠省略≫により認める〕、また非行生徒・長欠生徒の取扱いや保健簿等の作成の点で原告が特に不適切な事をした訳でもないのである。

(四)、研修終了の際の発言について

≪証拠省略≫によれば、前記研修(道徳などの授業参観と児湯教育事務所長および指導主事四名による教職員の服務、初任者の心構え、学級経営、学習指導、生徒指導に関する講話が行なわれた。)終了の際原告を含む新任教師に対して研修についての感想を求めたところ、他の教師達が「今日の研修会は有益であった、またこういう機会を作って下さい。」、などと述べているのに、原告からは「今日はいろいろとお話しを聞きましたが、今後私は指導主事の先生方とも対決することになります。」という趣旨の発言があったので、教育事務所長としてはその発言を異様なものと感ずるとともにこの人にどのような指導を加えたらよいものだろうか、はたして指導できるのだろうか、と心配したことが認められる。

右認定に反する原告本人の供述部分は、原告が右当日における指導主事の講義内容に反発的であったこと(この事実は原告本人の供述により認める)および≪証拠省略≫に照らして採用し難い。

初任者研修後の原告の右発言は、指導主事の講義内容等に対する反発心に基づくものであるが、その反発の根拠たるやさしたる理由によるものではないこと(原告は、「一時間の授業をするのに一時間以上の教材研究をして立案しなければならないとか、ベルがなる前に教室の入口まで行っていなければならないという指導主事の講義内容や職場仲間では指導主事が教師として人格的にも教育技術的にも評価されていないことから指導主事に反発した」旨供述する。)からすると、原告には初任者としての謙虚さや教育活動にも必要な協調性、教育者としてのあるべき姿勢、心構えに欠ける面があったとの評価を受けても止むを得ない。

(五)、教材研究等の懈怠について

1、≪証拠省略≫によれば、原告は生徒に対して夏休み用の数学の課題(六一題)をだしたが、右課題につき原告が示した解答にはつぎのような誤りのあったことが認められる。

(1)、3x+2y=-3、x-y=4に対する解答をx=1、y=3としている。

(2)、に対する解答をx=-9/7、y=1/7としている。

(3)、4x-3y=1、y=2x+1に対する解答をx=2、y=5としている。

そのほか≪証拠省略≫によれば、よしんば誤記としても、三角形の面積は「S=a×b/2」とすべきところを、「S=a×b」としたままプリントを生徒に配布している。

2、≪証拠省略≫によればつぎの事実が認められる。

(1)、原告が作成し生徒の父兄に配布した「中学生の学習と心理」・「学習の評価について」と題する各文書には、「環」(環境)・「能勢」(態勢)・「成調」(成長)・「得」(獲得)・「成積」(成績)・「囲気」(雰囲気)・「考」(考慮)・「質間」(質問)・「竟欲」(意欲)・「一」(一番)などの誤字があり、そのいくつかは何度もその誤りを繰返している。

(2)、原告の感想文には、「伹つ」(且つ)・「問」(問題)・「遠」(遠慮)などの誤字(各一ヶ所)がある。

(3)、原告が作成した通知票には、「環」(環境)・「能度」(態度)なる誤字がある。

(4)、原告が作成した学習指導記録中には、「問」(問題)・「朝令」(朝礼)・「徹低」(徹底)・「成積表」(成績表)・「修式」(修業式)・「始式」(始業式)などの誤字がある。

3、原告のこのような誤字筆記・数学の問題に対する誤答はたやすく看過することのできない事由である。

教師の指導能力・指導内容等が生徒の学力の増進や学習態度等に重大な影響を有していることはいうまでもない。またことに義務教育においては生徒は教師との全人格的な交わりによって、その人間性の開発・向上が期待し得るのであるから、教師はその職務を遂行するために絶えず研究と修養に努めなければならない(教育公務員特例法一九条一項)。

右のような原告の誤字筆記・数学の問題に対する誤答はそれが知識の欠如に基づくものであれ、注意力の欠如に基づくものであれ、いずれにせよ、それ自体教師としての適格性を疑わしめるものであるといわざるを得ない。

しかしそのことよりも自信のもてない文字については国語辞典に当ってこれを確かめ(この点原告本人は教師でありながら国語辞典を所持していなかったと供述する)、あるいは数学の解答を付するについては検算をするなど指導内容等に誤りのないよう地道に努めることが子弟の教育に携わる者にとって基本的かつ重要な事柄であるというべきであって前記認定事実に徴憑されるとおり、これらの努力を欠いた原告自らの学習態度は疎漏杜撰のそしりを免れないし、本件教員採用の際の受験願書に他人からの誘導の有無は別としても、少なくとも自己をいつわって自信のもてない数学・英語・理科(第一分野)を「免許教科以外で自信を以て指導できる科目」として記入したとする事実をもあわせると原告は教育活動に対する基本的な自覚・配慮に欠けるところがあるとされてもやむを得まい。

(六)、復命懈怠について

≪証拠省略≫によれば、前記初任教育公務員校外研修終了後原告が校長に復命しなかったことが認められる。

≪証拠省略≫によれば木城中学校においては、「学校長に出張を命ぜられた時には帰校後一週間以内に学校長に復命するものとする。」との服務内規が存在したことが認められるけれども、教頭が校長の指示により原告に対して研修終了後復命するよう伝えたことを認めるに足る確たる証拠もないし、通常かかる服務内規には不馴れな新任者に対して、このような復命懈怠を強く非難することはやや酷である。

(七)、誤字のある標語を指摘・指導しなかったことについて

原告担当の学級の教室内に生徒の書いた誤字のある標語「一日一喜」・「一人一人積人もって」が掲示されていたことは当事者間に争いがない。

教師としてはこのような明らかな誤りは生徒に対して指摘し、適切な指導をすべきであることはいうまでもない。

ところで原告は右標語は九月中旬頃掲示されたものであるが、「一日一喜」については当然「一日一善」と書いてあるものと考えていたし、「一人一人積人もって」については右標語が教室の高い場所に掲示してあり、かつ右文字が小さかったため気づかなかった旨供述する。

「喜」と「善」の各字体がよく似ていること、≪証拠省略≫によれば、「一人一人積人もって」は小さい文字で書かれていることが認められること、他の教師からも右誤りについて指摘のなかったこと(この事実は原告本人の供述により認める)、掲示後本件解職処分まで短時日しか経過していないことなどに照らすと、原告の右供述は信用せざるを得ない。

しかしながら、自己の学級内に掲示された標語・誤字に気付かなかったということ自体学級経営を行なう教師としてあるまじき事態というべく、その注意力の欠如は何とも弁解の仕様がないことであろう。

(八)、竹の棒の使用等について

1、≪証拠省略≫によれば、原告は五月頃から授業効果をたかめるために、指示棒として長さ約七八センチメートルの竹の棒を使用して授業をしていたことが認められるけれども、これは教育上当然のことであって何ら咎むべき点は存しない。

2、≪証拠省略≫によればつぎの事実が認められる。

(1)、六月中旬頃数学のテストで七・八人の男生徒がカンニングをしたため、原告は休み時間に右生徒らを職員室前の廊下に立たせ叱責した。

(2)、六月下旬頃広報部員の女生徒が学級新聞づくりを理由もなく懈怠したため、原告は右女生徒を職員室前廊下でやや詰問的に注意した。

(3)、七月上旬頃数学の授業中数名の生徒が騒いで授業の進行に支障をきたしたため原告は右生徒らを教室前の廊下に正座させた。

右(1)ないし(3)程度の叱責・措置・体罰につき原告がどのような教育的意図を持ち、どのような教育的配慮を加えたかについては明らかでないが、いずれも教育的懲戒権の範囲を超えているとまでは断じ難い。

原告が生徒に対してそのほかに体罰を加えたこと、その授業が著しく威圧的であったとまで認めるに足る得心のゆく証拠はない。

(九)、教務手帳不提出について

≪証拠省略≫によれば、七月中旬頃吉野校長の指示により梁重勝教務主任が職員室の黒板左側に職員に対し同月二〇日までに教務手帳など諸表簿を提出するよう掲示したため、原告は他の諸表簿とともに教務手帳を提出したが、一学年主任であった児玉教諭から「夏休み中に生徒指導要録を書いて貰いたい。その作成には教務手帳が便利である。」旨告げられたため、校長室に保管中であった教務手帳を校長の了解を得ることなく取り戻してきたことが認められる。

ところで≪証拠省略≫によると教務手帳は公費で購入されていることが認められ、木城中学校においては昭和四一年度から教務手帳をもって指導要録補助簿(木城村立学校管理規則一〇条によれば指導要録補助簿は学校に備え付けなければならない表簿となっている)にかえることに決定されており、同四三年四月一八日の職員会において吉野校長よりその確認がなされたが(この事実は≪証拠省略≫により認める)、職員間にどの程度周知徹底されていたかは必ずしも明らかでないことや本件解職処分後の同四四年度の木城中学校においては教務手帳を指導要録補助簿とすることを廃止するにいたったこと、他にも教務手帳を提出しなかった教師が二名いたこと(これらの事実は≪証拠省略≫により認める)あるいは原告が教務手帳を取り戻すにいたった経緯などを考慮すると、原告が教務手帳を提出しなかったことを強く非難することのできない面もある。

(十)、通知票の提示拒否について

≪証拠省略≫によれば、第一学期終了前において教頭が原告に対して通知票作成の指導をするべく記入したら一名分だけでもよいから提示するよう求めたが(もっともどの程度の指示をしたのか明らかではない)、原告がこれを提示することなく父兄に対して配布したことが認められる(その記入に基本的な漢字について誤字がみられることは前記(五)認定のとおりである)。

≪証拠判断省略≫

(十一)、職員会議終了後の放言について

原告が八月二一日開催の職員会議終了後「年寄りのいうことは古い、全く感覚がずれている。」旨の放言をしたことを認めるに足る得心のゆく証拠はない。

(十二)、学級備え付け記録簿の点検懈怠について

原告担当の学級にクラス会議事録・忘れ物調べ等が備え付けられていたことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、「忘れ物調べ容儀服装簿」は学級の保健体育部に所属する生徒が自主的に作成したものであり、七月から九月にかけて五回にわたり生徒が行なった忘れ物調べ等の結果が記載されているが七月八日分についてのみ原告の検印があり、その余については検印がなされていないこと、しかし右忘れ物調べは生徒の自主的な活動にまかされていたものであって、原告が点検することを目的としたものではないこと、もっとも原告は折にふれて点検し、忘れ物の多い生徒に対しては相応の指導をしていたこと、「クラス会議事録」は原告がクラス会におけるメモ帳として便宜的に作成したものであって、点検を目的としたものではないことが認められる。

班別日誌・家庭連絡簿について原告が点検・指導を怠ったことを認めるに足る証拠はない。

(十三)、机上等が雑然としていたことについて

≪証拠省略≫によれば職員室における原告の机上には多数のプリント類・書類等が、机下にはソフトボール・グローブ・バット等が置かれていて雑然としていたことが認められる。

(十四)、答案用紙等の点検懈怠について

≪証拠省略≫によれば一〇月頃職員室内に放置された原告の未処理答案が多数存在していたことが認められる。

一方原告本人の供述によれば原告は本件解職処分後も多数のプリント類を作成し、生徒の自習用として配布していたこと、しかしそれらのプリント類については採点することなく職員室内に放置していたことが認められる。

右各事実によれば、一〇月頃存在した前記プリント類の中には本件解職処分後に原告が作成したプリント類が多数含まれていたものと推測される。

原告が本件解職処分前に多数のプリント類を点検しなかったことを認めるに足る証拠はない。

(十五)、言葉遣いについて

原告が生徒を呼びすてにしていたことは当事者間に争いがない。

しかし教育上教師が生徒に対して“君”・“さん”づけをした方が望ましいとは必ずしも認め難いし、木城中学校においては他の教師も生徒を呼びすてにしていたこと(この事実は≪証拠省略≫により認める)からしても原告が生徒を呼びすてにしたことを教育効果との関係を抜きにして非難し得る限りではないところ、証人吉野忠行の証言による原告がかなり粗野な言葉遣いをしていたことは窺われるものの教育上悪影響をもたらす程の粗野な言語表現を用いたことまでを認めるに足る証拠はない。

(十六)、服装について

≪証拠省略≫によれば、原告は六月頃から放課後ソフトボール部の指導等に当った後、下宿先が学校から程近い(約七〇メートル)ためもあって、トレーニングシャツ、トレーニングパンツ姿のまま下校することが多かったこと、右のような服装で宿直に従事した後、宿直明けに右服装のまま下宿に帰って食事をし、登校することもあったことが認められる。

しかし右の程度のことは社会通念上からいっても、とりたてて問題とすべき程のものとは認め難い。

原告がトレーニングシャツ・トレーニングパンツの服装で数回授業をしていたとの≪証拠省略≫はにわかに措信し難い。

(十七)、職員会議の遅刻について

原告が被告主張の各職員会議に遅刻したことを認めるに足りる得心のゆく証拠はない。

三、本件解職処分の正当性について

≪証拠省略≫によると、原告の四月一日から七月三一日までの間の勤務に対する八月一日付の勤務評定(いわゆる条件評定)は、勤務成績欄については学級経営のみがB(普通)でそれ以外の学習指導・生活指導・校務の処理・研修・勤務態度・総評はすべてC(普通以下)であり、参考事項欄については責任感に乏しく、公正さに欠け、一部の教師とは接近するが一般的には協調しようとしない、言語・服装・態度は教師に向かないとされ、調整者押川哲生は教師不適の結論を出していること、原告と同時に条件評定を受けた条件付採用教員八七名中には総評(普通以下の中でも特によくない)が一名、総評Cが原告を含む四名であったこと、右五名につき被告は市町村教育委員会に対し評定の根拠につき再調査を命じた結果、の者と原告を除く三名については適格者として正式採用が決定されたが、原告ら二名については正式採用しないことに決定したこと、正式採用決定者三名については総評Cとはいっても勤務成績欄の評定Bの数が原告より多かったこと、再調査において原告につき指摘された点は主に被告が解職事由として本訴において主張している事項であること、の評定を受けた者について特に問題とされたことは無断欠勤・研修無断欠席などであり、同人は被告の意向を承けて依願退職したこと、原告は被告の意向に対し退職の意思がないと表明したため本件解職処分を受けるに至ったことなどが認められる。

そこで本件解職処分の適否につき判断するに、原告が学習指導・学級経営等に関して熱意をもってこれに当った点も窺えないではなく(前項認定判断の諸事実のほか≪証拠省略≫など)また被告認定事実中には事実誤認と思われるものや評価が厳しすぎると思われるふしなども存するが、前項で認定判断した諸事実を総合勘案するならば前記勤務評定が裁量権を逸脱したものとも思われず、ことに前項(四)・(五)・(七)に判示したように原告には教師として必要な知識・注意力・姿勢・心構えなどの点において欠ける面が見受けられ、その教師としての適格性に疑問が存することが認められるから、任命権者である被告が被選択過程にある右原告に対して最終結論として勤務成績不良を理由として本件解職処分をなしたことは地公法二二条一項の趣旨・目的に照らし合理性をもつ判断として許容される限度を超えたものとは認め難く、その裁量権の行使につき濫用があったとはいい難い。

四、被告が、原告の組合活動を嫌悪し、反組合的意図のもとに本件解職処分をなしたことを認めるに足る証拠はない。

第三、以上のとおりであって、原告の本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。

訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用した。

(裁判官 笹本忠男 裁判官 浜崎浩一 裁判長裁判官舟本信光は転任につき署名捺印することができない。裁判官 笹本忠男)

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